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世界のたまり場

現在、週2回、入国前の外国人ケアワーカー向けの研修を行っています。今月は「認知症ケア」をテーマにレクチャーをしていました。その仕上げとして取り組んだのが、認知症の人の内面の世界です。

このテーマをどう扱うか考えていたときに出会ったのが、『ありがとうをつたえたくて』という絵本でした。この作品は、認知症のお母さんが娘に向けて伝えるメッセージを描いた物語です。

読んだとき、認知症のお母さんの優しい思いや、その時々の情景が鮮明に浮かび、文章の力強さを感じました。

そして、この作品を朗読劇の形で外国人ケアワーカーに読んでもらったら、認知症の人の内面の世界により深く触れることができるのではないかと考えました。

そこで、外国人ケアワーカー向けの教材として、この作品を朗読劇風にアレンジする許可をいただき、編集作業を始めました。

私のミッションは、日本の介護を世界に届けることです。

日本の優れた介護教育や、介護に関する作品をどのように世界に伝えるのか。その視点で、日本の介護をながめています。

今回は、認知症紙芝居に続く第2弾として、この作品を使った朗読劇をどのように世界に届けられるかを意識しながら制作を進めました。

認知症紙芝居の英訳とリアレンジに取り組んだ5年前と比べると、今はAIの力を活用できる時代になりました。

翻訳や編集、そして頭の中にあるイメージをイラストとして形にすることも、以前よりずっとやりやすくなっています。

やりたいことが明確で想像力さえあれば、私のように特別な文章力や絵の才能がなくても、クリエイティブな活動ができる時代になったと感じています。

そして今週、オンラインクラスで朗読劇を行いました。それぞれのクラスには日本人のゲストにも参加していただき、朗読劇を聞いていただきました。

外国人ケアワーカーたちは作品の世界に深く入り込み、涙を流す受講生もいました。私の想像以上に、朗読劇の持つ力を感じることができました。

介護にとって大切なスキルの一つは、想像力だと思います。

特に、人の痛みを感じ取る想像力や感受性をどう育てるかは、とても重要です。

もし介護を受ける人を、自分とは切り離された「対象者」としてだけ捉えてしまうと、関係がうまくいかなくなったときに負のスパイラルに陥りやすくなります。

しかし、相手の痛みを自分の痛みとして感じられる想像力があれば、介護が大変な状況でも最後の最後のところで踏みとどまることができると思います。

そのような想像力は、頭で理解するだけでは育ちません。自分が能動的に関わり、心を揺さぶられる体験を通して育つものだと思います。

今回の朗読劇は、そのきっかけになり得るのではないかと感じました。

私はこの朗読劇の様子をビデオに編集し、受け入れ予定の施設にも共有しました。

外国人ケアワーカーがどのような教育を受けているのかを、日本の施設の方々にも知っていただきたいからです。

授業風景だけを伝えるよりも、朗読劇という「作品」として活動を伝えることができたのが良かったです。

もしこの朗読劇を受け入れ施設の職員の方々にも見ていただければ、外国人ケアワーカーを迎え入れる際の理解もより深まるのではないかと思います。

介護や認知症ケアは、国や世代を超えて語り合うことができるテーマです。

だからこそ、世界の人たちが集まり語り合う「たまり場」をつくる題材としても、適していると感じています。

それぞれの国の介護や認知症ケアについて語り合う場が生まれれば、そこに関わる人たちの想像力も育まれていくのではないでしょうか。

介護を通して世界のたまり場をつくる。

リアルの介護イベントやオンライン教育を通して、私はすでにいくつかの「たまり場」を経験し、その効果を実感しています。そして、たまり場をつくるためには、軸となるアクティビティが必要です。

認知症紙芝居、そして今回始めた認知症朗読劇が、これからどのように成長し、世界のたまり場につながっていくのか。

実験を続けていきたいと思います。

約10分の朗読劇の動画です。入国前の外国人ケアワーカーの様子と、認知症の人の内面の世界を感じていただければと思います。ぜひご覧ください。

やさしい世界の作り方

注文を間違えるレストランのイベントで、認知症紙芝居を披露しました。

今月は、大学、介護施設、レストランと、紙芝居を披露する機会が続きました。それぞれイベントの目的も対象者も異なります。しかし、認知症や介護というテーマには、多くの人が関心を寄せています。

世界が長寿化していく流れの中で、これらのテーマへの関心は今後ますます高まっていくのではないでしょうか。

紙芝居という日本の伝統文化を使うことで、どんなバックグラウンドを持った人にも、認知症について分かりやすく伝えることができる。そのツールとしての価値を、改めて実感しています。

ありがたいことに、認知症紙芝居のパフォーマンスを、わざわざ遠方から聞きに来てくれる人や、何度も参加してくれる人がいます。

写真は、私の紙芝居を4回も聞きに来てくれた介護職の女性です。 週6日、中国人の利用者さんの家で介護をしているそうです。その利用者さんは認知症とのことでした。

私の紙芝居を聞いたことで、介護の仕方が変わり、利用者さんとの関係が良くなったと言ってくれました。

「愛が大切だとわかった」 そう話してくれました。

立ち話だったため、具体的にどのように介護の仕方や考え方が変わり、行動の変化につながったのかまでは詳しく聞くことができませんでした。

しかし、本人がポジティブな変化を実感していることは確かです。その話を聞けたことがとてもうれしかったです。うれしくて一緒に写真を撮りました。

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実際、イベントを何度繰り返していても、聞いている人の行動変容につながらなければ、エンタメだけで終わってしまいます。

エンタメの要素はもちろん大切です。しかし、私が意図しているのは介護の教育です。一方で、エンタメの要素があるからこそ、何度も聞きに来てくれるとも言えます。

楽しく学ぶ。

エンタメと教育、その両軸が必要な時代になったと感じています。なぜなら、ただ学ぶだけであれば、ネットやYouTube、AIからの情報で十分だからです。

では、また聞きたくなるようなパフォーマンスをするにはどうしたらよいのか。彼女のおかげで、新しい課題が見つかりました。

リアルイベントと並行して、オンラインでも外国人ケアワーカー向けの認知症紙芝居を使った教育を行っています。

新しい試みとして、受講生に紙芝居のハンドアウトを郵送し、実際に身近な人に認知症について、自分が学んだことを伝える実践ワークを行いました。

受講生からは、その実践の動画と感想が送られてきています。

動画の撮り方や紙芝居の披露の仕方もそれぞれ異なり、さまざまな工夫がされていてとても面白いものでした。感想を読むと、皆それぞれが、認知症ケアを人に伝える喜びを感じている様子でした。

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確かに、認知症の話ができるのは、医者や専門家だけだと思われがちです。しかし、紙芝居の内容を学べば、次の日から自分で人に伝えられるようになる。これは、きらめき介護塾が編み出した画期的なアイデアだと思います。

SNSが広がっている今の時代、誰もが発信者になれます。 観客として聞くだけではなく、自らパフォーマーとなり発信することができる時代です。

紙芝居というツールを使って、認知症について発信する人が増えていけば、それだけ社会は認知症の人にやさしくなっていくと思います。

私は、自分がパフォーマーとして発信していくよりも、認知症について伝えられる人をどんどん育てていきたいと考えています。

それが、やがて日本の介護を世界に届けることにつながっていく。そう思っています。

認知症紙芝居イベント@フィリピン

フィリピンの老人ホームで、認知症紙芝居のイベントを行いました。

会場には、ご高齢の入居者の方々、施設で働く中年の介護職員、そして若い実習生と、三つの世代が集まっていました。

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このように異なる世代が混ざると、どこに焦点を当てて話せばよいのかが難しく、毎回悩みます。

それでも、最後に行った「ボルテスV」の音楽を使った脳トレ体操は、どの世代にもとても好評で助かりました。

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どんな状況でも一定のクオリティを保ってパフォーマンスができるよう、これからも頑張ります。

1%の積み重ね

■若者と認知症

先日、AlaUna. PH が主催するイベントで、認知症紙芝居を行いました。AlaUna. PH は、フィリピンの若い世代が中心となり、認知症ケアへの理解を社会に広げる活動を行っている団体です。

フィリピンは、高齢化率がまだ一桁台の「若い国」です。

その若い国で、若い世代が認知症を社会課題として捉え、ソーシャルアントレプレナーシップの視点から取り組もうとしているのは、とても興味深いことです。

認知症は、高齢化が進んだ国だけの問題ではなく、まさに Global Issue(世界的課題)であることを改めて実感しました。

■パフォーマンスは環境で決まる

イベント会場は大学構内の講義ホールでした。

パフォーマンスの質は、環境整備に大きく依存します。参加者が20名を超えると紙芝居台だけでは内容を届けられないため、プロジェクターも活用します。さらに、動画や音楽も使うのでサウンドシステムも必要になります。

事前に確認していても、設備不良は日常茶飯事です。せっかくのパフォーマンスも、環境が整っていないだけで質が落ちてしまうことを何度も経験しました。そのため、今では必要な機材はすべて自前で用意するようにしています。

不測の事態が起きても、バックアップは自己責任で行う。

その覚悟を持つことの大切さを、フィリピンでのイベント行脚を通して学びました。今回はきちんと準備が整っていて、よかったです。

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■情報爆速時代

参加者は100名ほどで、そのほとんどが大学生でした。

ショート動画全盛期で、つまらないと思えばすぐにスワイプする、そんな情報爆速時代の今、大学生の関心を1時間集め続けるのは至難の業です。しかもトピックは「認知症」です。

舞台に立つとよく分かりますが、観客が退屈しているかどうかはすぐに伝わってきます。その素直なリアクションも、フィリピン人の良いところだと思っています。

もちろん、私も悲しい道化師を演じ続けているわけではありません。毎回、自分なりに改良を重ね、少しずつチューニングしてきました。

外国人というハンデがある中で、自分の強みは何か、どうすれば伝わるのか。その問いに向き合い続けてきました。

聞いてもらえなければ、想いは届きません。

■1%ずつの改善

毎回1%ずつ、パフォーマンスが向上している手応えはあります。そして今回のイベントで、ようやく臨界点を超えた気がしました。

大学生が、私の話を聞いていたのです。

チームメンバーにもフィードバックを求めたところ、「They listened to you(彼らはちゃんと話を聞いていた)」と言ってくれました。

クイズを出したり、動画を見せたり、お菓子を配ったりと、あの手この手で工夫を重ねて、ようやく彼らの貴重な60分を獲得できるようになりました。

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■ボルテスV がつくった一体感

紙芝居の後には、認知症予防体操として、昔日本で流行した「フリフリグーパー体操」を行いました。

身体を使ったエクササイズを入れることで、気分がリフレッシュし、再び聴衆の関心を引きつけることができます。

ここでも少し工夫をしています。

最初は、日本のお年寄りに人気のある曲「青い山脈」に合わせて脳トレ体操を行います。そして次の曲は、フィリピンで有名な日本のアニメソング「ボルテス V」です。

私自身は ボルテス V を観たことがなかったのですが、フィリピンでは国民的な人気アニメだそうで、老若男女問わず多くの人が知っているようです。

大学生も、この曲が流れた瞬間に一気に盛り上がり、会場の一体感がぐっと高まりました。

認知症紙芝居からの「ボルテス V &フリフリグーパー体操」は、今後のテンプレートになりそうです。

たとえ他の国であっても、日本のアニメソングと脳トレを組み合わせることで会場が盛り上がる。そんな現場の知恵を授かりました。

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■日本の介護を世界へ

今回のイベントで、私もようやく自信がつきました。目指す山はまだまだ高いですが、情熱を注ぐ対象があるのは、幸せなことだとも思います。

フィリピンで着実に実力をつけながら、日本の介護を世界に届けていきます。

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名前のない能力

現在、オンラインクラスを毎週2回行っています。今週のテーマは「生活の多様性の中にある尊厳と自立」でした。

介護は、日常生活支援の専門職です。しかし、「生活とは何か」と問われると、非常に抽象的で、つかみどころがありません。だからこそ、教えることが難しいのです。

私が生活について伝えるうえで、最も大切にしている前提は、「人の生活は多様である」ということです。

私たちは無意識のうちに、自分の生活を基準に物事を考えます。他者の生活の中に入り込む経験が乏しいからです。その結果、「自分と同じような生活」を前提に支援してしまいがちです。

その思い込みを崩してくれたのが、訪問介護の現場でした。

他者の家に入り、その人の生活を支える。そこには、教科書では決して学べない、多様な生活の現実があります。

私の教育スタイルは、抽象概念を提示し、それを具体的な事例に落とし込み、再び抽象へ戻すことです。この「具体と抽象を行き来する」プロセスを大切にしています。

その意味で、私がヘルパーとして多様な家庭に入り、さまざまな生活を垣間見た記録は、かけがえのない教材となっています。

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■名前のない能力

最近、慶應義塾大学教授・ニューロサイエンティストの安宅和人氏のブログで、「名前のない能力」という言葉に出会いました。

介護や育児は、しばしば Unpaid work(無報酬の仕事)として扱われ、十分に評価されてきませんでした。環境要因が多く、単純比較ができず、評価軸に乗せにくい仕事だからです。

しかし、最も大きな理由は、評価する側がその仕事をやったことがないからだ、と筆者は言います。

やったことがないから、その高度さが見えない。訪問介護の現場は、まさにその典型でした。

■当然の業務

例えば、45分の支援の中で、部屋を片付け、調理をし、少なくとも3品を作る。冷蔵庫の中身を見て、その場で献立を組み立てる。簡単な料理の日もあれば、煮魚のように火加減と時間配分が問われる日もあります。

利用者は気難しい。機嫌を損ねれば怒鳴られる。雰囲気が悪くならないよう、私は指圧をしてご機嫌を取る。いわば私の隠し技です。マッサージをしながら次の段取りを考え、時間内にどう終えるか、思考を巡らせます。

複雑な環境要因の中で、同時進行でタスクを処理し、時間内に一定の満足度を保つ。

それらは数値化されにくく、市場ではほとんど評価されません。社会保険制度の報酬の中に吸収され、「当然の業務」として処理されるだけです。

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■言葉の重み

そんなとき、同じ現場を経験した上司や先輩から、

「よく頑張ったね」

「すごいことをしたね」

と声をかけてもらったことがあります。その一言に、どれだけ救われたことでしょう。

その言葉が重みを持つのは、彼らも同じ現場を経験し、その難しさを知っているからです。

■海外で働くという変数

ここに、外国人ケアワーカーという変数が加わったらどうなるでしょうか。

介護という高度な仕事に、「海外で働く」という難易度が上乗せされます。言語、文化、家族との距離、在留資格の維持、金銭的困窮。これらは目に見えない負荷です。

外国人ケアワーカーとの協調に必要なのは、介護現場への理解と、海外で働くことへの理解。その両方だと思います。

その理解を持つ人からの適切なフィードバックは、外国人ケアワーカーの活力の源になるはずです

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■名前のある価値

日本で働く外国人ケアワーカーは、日々その「名前のない能力」を身につけようとしています。名前がないから大した仕事ではない、そう思われがちです。

しかし、その価値を言語化し、正当に伝えることができれば、彼らのやる気をさらに引き出すことにつながります。

名前のない能力を、名前のある価値へ。

最近、私はオンライン教育を通して、フィードバックの大切さを実感しています。名前がない能力だからこそ、彼らの介護観を深めるフィードバックが重要なのです。

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そして同時に、私自身も、彼らとの対話を通して学びを深めています。

参考:安宅和人氏「名前のない能力について」