現在、オンラインクラスを毎週2回行っています。今週のテーマは「生活の多様性の中にある尊厳と自立」でした。
介護は、日常生活支援の専門職です。しかし、「生活とは何か」と問われると、非常に抽象的で、つかみどころがありません。だからこそ、教えることが難しいのです。
私が生活について伝えるうえで、最も大切にしている前提は、「人の生活は多様である」ということです。
私たちは無意識のうちに、自分の生活を基準に物事を考えます。他者の生活の中に入り込む経験が乏しいからです。その結果、「自分と同じような生活」を前提に支援してしまいがちです。
その思い込みを崩してくれたのが、訪問介護の現場でした。
他者の家に入り、その人の生活を支える。そこには、教科書では決して学べない、多様な生活の現実があります。
私の教育スタイルは、抽象概念を提示し、それを具体的な事例に落とし込み、再び抽象へ戻すことです。この「具体と抽象を行き来する」プロセスを大切にしています。
その意味で、私がヘルパーとして多様な家庭に入り、さまざまな生活を垣間見た記録は、かけがえのない教材となっています。

■名前のない能力
最近、慶應義塾大学教授・ニューロサイエンティストの安宅和人氏のブログで、「名前のない能力」という言葉に出会いました。
介護や育児は、しばしば Unpaid work(無報酬の仕事)として扱われ、十分に評価されてきませんでした。環境要因が多く、単純比較ができず、評価軸に乗せにくい仕事だからです。
しかし、最も大きな理由は、評価する側がその仕事をやったことがないからだ、と筆者は言います。
やったことがないから、その高度さが見えない。訪問介護の現場は、まさにその典型でした。
■当然の業務
例えば、45分の支援の中で、部屋を片付け、調理をし、少なくとも3品を作る。冷蔵庫の中身を見て、その場で献立を組み立てる。簡単な料理の日もあれば、煮魚のように火加減と時間配分が問われる日もあります。
利用者は気難しい。機嫌を損ねれば怒鳴られる。雰囲気が悪くならないよう、私は指圧をしてご機嫌を取る。いわば私の隠し技です。マッサージをしながら次の段取りを考え、時間内にどう終えるか、思考を巡らせます。
複雑な環境要因の中で、同時進行でタスクを処理し、時間内に一定の満足度を保つ。
それらは数値化されにくく、市場ではほとんど評価されません。社会保険制度の報酬の中に吸収され、「当然の業務」として処理されるだけです。


■言葉の重み
そんなとき、同じ現場を経験した上司や先輩から、
「よく頑張ったね」
「すごいことをしたね」
と声をかけてもらったことがあります。その一言に、どれだけ救われたことでしょう。
その言葉が重みを持つのは、彼らも同じ現場を経験し、その難しさを知っているからです。
■海外で働くという変数
ここに、外国人ケアワーカーという変数が加わったらどうなるでしょうか。
介護という高度な仕事に、「海外で働く」という難易度が上乗せされます。言語、文化、家族との距離、在留資格の維持、金銭的困窮。これらは目に見えない負荷です。
外国人ケアワーカーとの協調に必要なのは、介護現場への理解と、海外で働くことへの理解。その両方だと思います。
その理解を持つ人からの適切なフィードバックは、外国人ケアワーカーの活力の源になるはずです

■名前のある価値
日本で働く外国人ケアワーカーは、日々その「名前のない能力」を身につけようとしています。名前がないから大した仕事ではない、そう思われがちです。
しかし、その価値を言語化し、正当に伝えることができれば、彼らのやる気をさらに引き出すことにつながります。
名前のない能力を、名前のある価値へ。
最近、私はオンライン教育を通して、フィードバックの大切さを実感しています。名前がない能力だからこそ、彼らの介護観を深めるフィードバックが重要なのです。

そして同時に、私自身も、彼らとの対話を通して学びを深めています。
参考:安宅和人氏「名前のない能力について」