海外介護

オンアイン介護教育の可能性

今年から、オンライン介護研修を再開します。

2020年3月、フィリピンでは突然の厳格なロックダウンが始まり、学校が閉鎖されました。その後の約2年間、対面授業はできず、介護クラスはすべてオンラインで実施せざるを得ませんでした。

対面とオンラインでは、授業の進め方がまったく異なります。試験対策のように、知識を一方的に伝える講義であれば、オンラインでもある程度代替できます。

しかし、オンライン上でのディスカッションや発表、ワークショップといった、双方向のコミュニケーションを通じて内省を促す授業は、当時は十分に実現できませんでした。

私自身の技量不足に加え、受講生側のネット環境や学習環境が整っていなかったことも、大きな要因でした。

■再びオンラインが求められる背景

その後、コロナは落ち着き、対面授業ができるようになりました。

一方で今は、別の理由からオンライン講義の需要が高まっています。その大きな要因が、教育コストの削減です。多額の費用をかけるのではなく、できるだけ低コストで効率よく学ぶことが求められるようになりました。

良い教育を提供するのは当たり前で、その上で「どうコストを抑えるか」が、海外で介護教育に携わる講師に求められる時代になっています。

■ オンラインで代替できること

2025年の1年間、私は現場に出て、リアルでの講義や介護イベントを行ってきました。その中で常に意識していたのが、

「この体験のどこまでがオンラインで代替できるのか」という視点です。

オンラインであっても、受講生の内省を促すことは可能です。そのために重要なのは、双方向のコミュニケーションの場をどのように設計するか、という点だと考えています。

■オンライン教育への再挑戦

そこで、オンラインホワイトボードのmiroを授業に取り入れることにしました。

リアルの講義では付箋を使ったワークショップを繰り返し行ってきたため、それをオンラインでどう再現するかについては、具体的なイメージを持てるようになりました。

時間をかけて考え、思考を深めるという点では、むしろオンラインの方が優れている部分もあります。重要なのは、

  • 受講生の思考を深める問いの立て方と、

  • それに対する講師の適切なフィードバック、です。

2020年当時と比べて、受講生のネット環境は大きく改善し、私自身も、再びオンライン教育に挑戦する準備が整いました。

■視点の引き出し

介護職にとって大切なのは、視点の引き出しを増やすことだと思います。

もし介護職の視野が狭く、利用者の日常生活を自分の常識に当てはめてしまえば、自分本位の介護になってしまいます。相手の視点に立って考える訓練が必要です。

多くの視点に気づくきっかけを与えることは、オンラインでも可能です。ただし、それだけで視野が一気に広がるわけではありません。

現場での体験と結びついたときに、初めて、専門職としての視野が広がります。

視点を増やすことと体験を結びつけることを同時に行うのは、オンラインでは難しい。しかし、視点の引き出しを増やすこと自体はできる、これが私の仮説です。

■ 外国人ケアワーカーに欠けがちな「Why」

外国人向けの介護教育において、特に大切なのは、彼らの人生と介護の仕事を結びつけることだと考えています。

というのも、彼らにとって介護は、日本で働くための「手段」になっているケースが少なくないからです。

その背景には、介護職が持つ専門性や将来性、日本で介護を学ぶことで自分の人生がどう豊かになるのか、というイメージが十分に描けていないことがあります。

なぜ介護職として日本で働くのか。

そのWhyを丁寧に言語化し、人生と介護を結びつけるきっかけをつくることは、オンラインでも可能だと思います。

■二つの目的とその先の未来

  • 介護職として必要な視点の引き出しを増やすこと。

  • 外国人ケアワーカーの人生の目的と介護を結びつけること。

この二つを目標に、介護のオンライン講義に取り組んでいきたいと思います。

そして、このチャレンジは、日本国内の課題解決にとどまるものではありません。

多くの先進国でも外国人ケアワーカーを受け入れており、日本と同様に、オンラインによる介護教育の在り方を模索しています。

場所の制限がないオンライン教育だからこそ、その可能性は世界に広げることができます。その第一歩として、まずは目の前の講義一つひとつに、全力で向き合っていきます。

学びとエンタメを、日本文化で包む~日本の介護を世界に広げる方程式~

■Sushi クッキング

認知症紙芝居に次ぐ、2本目の介護イベントの柱を育てています。その筆頭が、Sushiクッキングです。

寿司が海外でウケるのは、もはや周知の事実。しかも、日本人が寿司をつくる。それだけでイベント価値は、確実に跳ね上がります。

実は私、アメリカで寿司職人のアシスタントをしていた経験があります。メキシコ人と一緒に、ロール寿司を巻いて、巻いて、磨いたスキルは、今も健在です。この経験とスキルを、再利用しない手はありません。

課題はひとつ。寿司づくりに、どうやって「介護の学び」と「エンタメ」を結びつけるか、です。

■ エンタメをデザインする

認知症紙芝居では木枠を購入し、「物語を聞く」というエンタメ要素を加えることでブレークスルーしました。その成功?に味をしめた私は、メルカリで木製の舟盛を購入しました。

商品の説明には、「昭和50年代にかっぱ橋で入手した」とありました。

いい。古ければ古いほど、日本文化としての価値があります。苦労してフィリピンまで運びました。

画像

■SNS時代のポイント

舟盛の購入にはもう1つ理由がありました。海外で寿司イベントをやるたび、ずっと不満だったのが「食器」です。せっかく上手に作った寿司を引き立てる器がない。とはいえ、毎回食器を持ち運ぶのも現実的ではありません。

その点、舟盛のように、“ひとつで象徴になる器”があれば、イベントとして一気に締まります。しかも、写真映えもします。SNS時代の今、写真ポイントの設計もイベントデザインの一部です。

案の定、舟盛に乗せた寿司は大人気。多くの参加者が写真を撮ってくれました。

画像

■ 学びをデザインする

次は、介護の学びをどう組み込むかです。

先日、地域のお年寄りを招いてSushiクッキングを開催しました。認知症紙芝居の後、そのまま寿司のデモンストレーションへと移行しました。

そこで、ひとつ閃いたのです。

前方の観客に、ロール寿司の中身を選んでもらうことにしたのです。アボカド、かにかま、キュウリ、マンゴー、スパム、薄焼き卵。そこから「食べたいもの」を選んでもらいました。

その選んだ材料で寿司を作り、食べてもらう。すると、予想以上に喜んでもらえました。

なるほど、「選ぶ」という行為だけでも、人は能動的に関われる。そう気づいた瞬間でした。

画像

■ 自己選択・自己決定

私が日本でヘルパーをしていた頃、寝たきりの利用者さんに頼まれて、コンビニやデパートで買い物をすることがありました。

その時、私は売り場にあるすべての商品の写真を撮り、それを送って、本人に選んでもらっていました。

本当は、本人が自分で外に出て選ぶのが一番です。それが叶わない場合でも、「介護職が選ぶ」のではなく、本人が選べる環境を整えることで、その人の自律は支えられます。

自己選択・自己決定は、日本の介護が大切にしてきた理念です。

ロール寿司づくりには、実はたくさんの「選択肢」が用意できます。

  • 材料の選択。

  • 内巻きか外巻きか。

  • 細巻きか太巻きか。

  • 今食べるか、持ち帰るか。

これらを「本人に選んでもらう」ことが、尊厳を支える介護につながる。Sushiクッキングから、その大切な学びが伝えられるのではないかと、新しい発見がありました。

画像

■ 学びとエンタメを、日本文化で包む

海外で日本の介護を伝えていく、私の基本戦略は、「学びとエンタメを、日本文化で包むこと」です。

この方程式にのっとって介護のネタを探せば、まだまだ、いろいろな組み合わせができるはずです。

うまくいくかどうかは、現場が教えてくれます。引き続き、現場で“日本の介護をどう届けるか”を考え続けていきます。

画像
画像

荘厳なる静けさ@フィリピン初の注文を間違えるレストラン

■トップダウンと合意主義

フィリピン初の「注文を間違えるレストラン」が開催されました。

日本から介護講師陣がフィリピンに来るタイミングに合わせ、急遽開催が決まりました。そこからわずか2週間ほどで実現にこぎつけるスピード感は、さすがトップダウンで意思決定が行われる国・フィリピンです。

末端までの合意を重ねながら慎重に進める日本の「合意主義」では、考えられないスピードです。しかし、海外で何かを成そうとするなら、このスピード感についていくことが重要です。

「釘は熱いうちに打て」の言葉通り、熱が高まっている瞬間に、半歩でも前に進めることで、次に見える景色が変わってきます。

すでにツアーの予定が詰まっていた中で、もうひとつイベントを組み込むのは簡単ではありませんでした。しかし、「この機会に一つでも多くを学びたい」という日本人ゲストのどん欲な姿勢のおかげで、開催にこぎつけることができました。

画像
画像

■プロの聞く力

当日、介護施設から3名の入居者さんがウェイターとして参加してくれました。

注文を取り、飲み物を運び、私たち日本人グループにも接客をしてくれました。厨房はおそらく大忙しだったのでしょう。注文から配膳までかなり時間がかかりました。

その間、入居者さんたちは私たちのテーブルにずっといて、ご自身の身の上話をしてくれました。もちろん会話は英語です。

私たちは内容を十分に理解できていたわけではありません。それでも入居者さんが離れなかったのは、この場の居心地が良かったからだと思います。

言葉が通じなくても、こちらが「理解しようとする姿勢」を示せば、コミュニケーションは成立します。

「話を聞いてくれると、嬉しい」

認知症紙芝居にも出てくる大切なフレーズです。この聞く姿勢ひとつを取ってみても、プロの介護講師としての技の一端が垣間見えました。

画像

■紙芝居の舞台裏

配膳までの待ち時間に、認知症紙芝居を披露することになりました。「配膳の準備が整い次第、途中で終了して」という、なかなかの無茶ぶりです。

この状況で求められる私の役割について考えました。

あくまで主役は接客をしている入居者さん達です。であるならば、私は「繋ぎ」に徹することが最適であると判断し、話の区切りが良いポイントをいくつも頭に入れて臨みました。

画像
画像

10分ほど経ったところで終了の合図が入り、その数分後にはきちんと終えることができました。前座として求められる役割を果たせたことに、ひとまず安堵しました。

■臨機応変

食事はワンプレートで運ばれてきました。愉快に昔話をしていた時とは打って変わり、配膳時の入居者さんたちの真剣な表情が印象的でした。

画像
画像

食事中、私は次に紙芝居を再開する際の構成について考えていました。最後までやり切るべきか、短くまとめるべきか、その中間か。

今回の紙芝居は、あくまで主役を支える「助攻(アシスト)」です。こうした状況にも対応できるよう、短いバージョンの紙芝居も必要だと、現場で新たな宿題を得ました。

■荘厳なる静けさ

食事が一段落したところで、ふいに紙芝居の再開が言い渡されました。

普段のフィリピンであれば、食後は賑やかになり、話を聞くどころではなくなります。私は内心、「やりづらいな」と思いました。

しかしこの日は、日本人ゲストを含め、数人が真剣に耳を傾けてくれたことで、会場全体が次第に落ち着いていきました。

終盤には、心地よい静けさすら感じられました。パーティ好きのフィリピンでは、滅多に味わえない〝静けさ〟です。

伝え手と聞き手、そして場の雰囲気がシンクロしたときにだけそっと訪れる、〝荘厳なる静けさ〟。

この瞬間、私は、この物語が誰かの心に届いたと感じました。

画像

無茶ぶりの連続でしたが、最後までやり切って本当によかったです。また1つ引き出しが増えました。

フィリピンの「注文を間違えるレストラン」は始まったばかりです。これから、たくさんのレストランへと、この輪を広げていきます。

画像

日本の介護を世界の舞台へ

■3日間で介護イベントを5つ開催

日本から介護講師の方たちが来比しました。日々現場で取り組み、磨き、培ってきた技と想いを、フィリピンで披露する舞台を整えるのが私の役割です。

もちろん、私自身も演者として登壇しました。定番の認知症紙芝居に加え、寿司クッキング、そして新作の「栄養と食生活」を初披露しました。

日本の食生活と長寿の関連には、世界から多くの注目が集まっています

世界的にヒットした『IKIGAI(いきがい)』の本でも、日本人の長寿の秘訣として「Hara Hachi Bu(腹八分)」が紹介されていました。

これをヒントに、「基礎栄養学」と「腹八分」を組み合わせた、日本らしい「栄養と食生活」の新ネタを制作したのです。初披露にしては、まずまずの手応えが得られました。

これからはどんどん平場に出て、お笑い芸人のようにネタの精度を磨いていきます。

画像

■言葉を超えて伝わる、日本人介護講師の力

日本人介護講師のパフォーマンスは、さすがのクオリティでした。

言葉の壁は確かに存在します。しかし、それを補って余りあるのが、現場で積み上げてきた経験と技です。

語学の習得には時間がかかりますが、介護講師として現場経験を積み上げていくのも、同じか、それ以上の時間が必要です。

言葉に頼らない非言語のパフォーマンスであれば、彼らは即、海外で通用します。実際にその姿を見て、私はそう確信しました。

なぜなら、海外の観客が見ているのは、ステージ上のパフォーマンスだけではないからです。ステージを降りた後の立ち居振る舞い、日常の所作、礼儀正しさ、丁寧さ、謙虚さ、そして、プロとしての姿勢。

画像
画像
画像

それらが言葉ではなく、雰囲気としてにじみ出る品格こそが、介護職における本当のプロフェッショナリズムなのだと感じます。

■日本の介護を、世界の舞台へ

私は、日本人介護職が海外に出て、日々現場で積み上げてきた経験や技を世界に伝えていく姿を、もっと、もっと、見てみたいと思っています。

日本国内だけに留めておくのは、あまりにも惜しい。世界に向けて、介護職としてのプロの姿勢を見せてほしいのです。

そしてそれは、私たち日本人介護職自身にとっても大きな意味があります。海外に出て初めて、日本の介護の素晴らしさや、自らの価値に気づくことも少なくないからです。

■介護のグローバルチェーン

望む望まざるにかかわらず、日本の介護が国内だけで完結する時代は終わりました。

これからますます外国人労働者は増えていきます。日本はすでに、介護のグローバルチェーンの一部なのです。

であるならば、世界に向けて日本の介護を積極的に発信し、日本で介護を学びたい世界のケアワーカーに届けていくことで、結果として優秀な外国人ケアワーカーを惹きつけることができるのではないでしょうか。

それができる価値を、私たちはすでに持っているのです。

介護を通して、日本と世界をつなげることに、改めて大きなやりがいを感じた3日間でした。

フィリピンに限らず、世界の舞台をプロデュースできるよう、私自身も引き続き現場に出て、技とプロの姿勢を磨いていきます。

画像

注文を間違えるレストラン

認知症のある人が接客を担い、注文を間違えることを前提に運営されるレストラン型プロジェクト、「注文を間違えるレストラン」が、フィリピンで開催されます。

このプロジェクトは日本発祥です。

「間違うこと」を否定せず、そのまま受け入れるという発想は、認知症への理解と寛容さを社会に問いかける、日本ならではの取り組みだと思います。

■海を越えた日本の認知症ケア

昨年、私は認知症紙芝居のイベントで介護施設を訪れました。するとその施設では、入居者さんがウエイター役となり、私たち訪問客をもてなすという取り組みが行われました。

施設のフィリピン人オーナーが「注文を間違えるレストラン」のことを知り、その考え方を参考に、試験的に施設内で実践したのです。

メニューはサンドイッチ、スープ、ジュースなど限られたものでしたが、入居者さんたちはメモを片手に、真剣な表情で注文を取りに来てくれました。

何を注文しても、最終的には同じものが運ばれてくるのですが、それでも入居者さんたちは生き生きと動いていました。

注文を運んでいる途中でお腹が空いたのか、そのまま食べてしまうおばあちゃんもいて、施設は自然と笑いに包まれていました。

その光景を見たとき、私は心を打たれました。

私の知らないところで、日本の認知症ケアの考え方が、すでに海を越えて海外に浸透していたからです。驚きと同時に、誇らしさも感じました。やはり、日本の介護はすごい、と。

画像

■認知症紙芝居とのコラボ企画

その後、施設のオーナーから声をかけられました。

オーナーはレストランも経営しており、今度はレストランに入居者さんを連れてきて、「注文を間違えるレストラン」を開催するというのです。

そして、そのイベントで認知症紙芝居を披露してほしい、という依頼を受けました。私はすぐに「ぜひやりましょう」と答えました。

「注文を間違えるレストラン」と「認知症紙芝居」は、非常に相性が良いからです。

どちらも日本発祥のアイデアであり、認知症について知識のない一般のお客さんに対して、認知症紙芝居は分かりやすく背景や気持ちを伝えることができます。

画像

その理解を踏まえたうえで、認知症のある人の接客を体験する。知識が体験へと変わり、理解がより深まる。

このコラボレーションの成功イメージは、すぐに思い描くことができました。

画像

■IKIGAI(生きがい)

ここ数年、海外では「Ikigai(生きがい)」という言葉が注目を集めています。

成果や効率を重視する生き方への疲れ、心の充足や人生の意味を求める流れが、背景にあるようです。

「高齢者介護」と「生きがい」は、その延長線上でつながっています。もはや、衣食住を提供すればそれで十分、という時代ではなくなったからです。

人生の最終ステージをどう生きるのか。

その視点を持って介護をするのと、そうでないのとでは、大きな差が生まれます。日本は、数十年という時間をかけて、介護の中に「生きがい」という視点を育ててきました。

一方、海外ではテクノロジーの進化と長寿化の進展によって、その視点をより速いスピードで取り入れようとしています。冒頭の「注文を間違えるレストラン」の実践は、その象徴的な事例だと言えるでしょう。

■介護とIKIGAI

「介護とIKIGAI」の接続点が意味することは、ただサービスを受けるだけの「お客さん」であり続けるのではなく、

役割を持ち、いつまでも社会と関わり続ける「在り方」を提案することにこそ、未来の介護の価値があるのではないでしょうか。

介護とIKIGAI。

この二つが重なるところに、海外から求められている日本の介護のヒントがあるように感じています。

この仮説をもとに、まずはフィリピンで「注文を間違えるレストラン」を実践します。