フィリピンの老人ホームで、認知症紙芝居のイベントを行いました。
会場には、ご高齢の入居者の方々、施設で働く中年の介護職員、そして若い実習生と、三つの世代が集まっていました。




このように異なる世代が混ざると、どこに焦点を当てて話せばよいのかが難しく、毎回悩みます。
それでも、最後に行った「ボルテスV」の音楽を使った脳トレ体操は、どの世代にもとても好評で助かりました。

どんな状況でも一定のクオリティを保ってパフォーマンスができるよう、これからも頑張ります。
先日、AlaUna. PH が主催するイベントで、認知症紙芝居を行いました。AlaUna. PH は、フィリピンの若い世代が中心となり、認知症ケアへの理解を社会に広げる活動を行っている団体です。
フィリピンは、高齢化率がまだ一桁台の「若い国」です。
その若い国で、若い世代が認知症を社会課題として捉え、ソーシャルアントレプレナーシップの視点から取り組もうとしているのは、とても興味深いことです。
認知症は、高齢化が進んだ国だけの問題ではなく、まさに Global Issue(世界的課題)であることを改めて実感しました。
イベント会場は大学構内の講義ホールでした。
パフォーマンスの質は、環境整備に大きく依存します。参加者が20名を超えると紙芝居台だけでは内容を届けられないため、プロジェクターも活用します。さらに、動画や音楽も使うのでサウンドシステムも必要になります。
事前に確認していても、設備不良は日常茶飯事です。せっかくのパフォーマンスも、環境が整っていないだけで質が落ちてしまうことを何度も経験しました。そのため、今では必要な機材はすべて自前で用意するようにしています。
不測の事態が起きても、バックアップは自己責任で行う。
その覚悟を持つことの大切さを、フィリピンでのイベント行脚を通して学びました。今回はきちんと準備が整っていて、よかったです。


参加者は100名ほどで、そのほとんどが大学生でした。
ショート動画全盛期で、つまらないと思えばすぐにスワイプする、そんな情報爆速時代の今、大学生の関心を1時間集め続けるのは至難の業です。しかもトピックは「認知症」です。
舞台に立つとよく分かりますが、観客が退屈しているかどうかはすぐに伝わってきます。その素直なリアクションも、フィリピン人の良いところだと思っています。
もちろん、私も悲しい道化師を演じ続けているわけではありません。毎回、自分なりに改良を重ね、少しずつチューニングしてきました。
外国人というハンデがある中で、自分の強みは何か、どうすれば伝わるのか。その問いに向き合い続けてきました。
聞いてもらえなければ、想いは届きません。
毎回1%ずつ、パフォーマンスが向上している手応えはあります。そして今回のイベントで、ようやく臨界点を超えた気がしました。
大学生が、私の話を聞いていたのです。
チームメンバーにもフィードバックを求めたところ、「They listened to you(彼らはちゃんと話を聞いていた)」と言ってくれました。
クイズを出したり、動画を見せたり、お菓子を配ったりと、あの手この手で工夫を重ねて、ようやく彼らの貴重な60分を獲得できるようになりました。


紙芝居の後には、認知症予防体操として、昔日本で流行した「フリフリグーパー体操」を行いました。
身体を使ったエクササイズを入れることで、気分がリフレッシュし、再び聴衆の関心を引きつけることができます。
ここでも少し工夫をしています。
最初は、日本のお年寄りに人気のある曲「青い山脈」に合わせて脳トレ体操を行います。そして次の曲は、フィリピンで有名な日本のアニメソング「ボルテス V」です。
私自身は ボルテス V を観たことがなかったのですが、フィリピンでは国民的な人気アニメだそうで、老若男女問わず多くの人が知っているようです。
大学生も、この曲が流れた瞬間に一気に盛り上がり、会場の一体感がぐっと高まりました。
認知症紙芝居からの「ボルテス V &フリフリグーパー体操」は、今後のテンプレートになりそうです。
たとえ他の国であっても、日本のアニメソングと脳トレを組み合わせることで会場が盛り上がる。そんな現場の知恵を授かりました。

今回のイベントで、私もようやく自信がつきました。目指す山はまだまだ高いですが、情熱を注ぐ対象があるのは、幸せなことだとも思います。
フィリピンで着実に実力をつけながら、日本の介護を世界に届けていきます。

現在、オンラインクラスを毎週2回行っています。今週のテーマは「生活の多様性の中にある尊厳と自立」でした。
介護は、日常生活支援の専門職です。しかし、「生活とは何か」と問われると、非常に抽象的で、つかみどころがありません。だからこそ、教えることが難しいのです。
私が生活について伝えるうえで、最も大切にしている前提は、「人の生活は多様である」ということです。
私たちは無意識のうちに、自分の生活を基準に物事を考えます。他者の生活の中に入り込む経験が乏しいからです。その結果、「自分と同じような生活」を前提に支援してしまいがちです。
その思い込みを崩してくれたのが、訪問介護の現場でした。
他者の家に入り、その人の生活を支える。そこには、教科書では決して学べない、多様な生活の現実があります。
私の教育スタイルは、抽象概念を提示し、それを具体的な事例に落とし込み、再び抽象へ戻すことです。この「具体と抽象を行き来する」プロセスを大切にしています。
その意味で、私がヘルパーとして多様な家庭に入り、さまざまな生活を垣間見た記録は、かけがえのない教材となっています。

最近、慶應義塾大学教授・ニューロサイエンティストの安宅和人氏のブログで、「名前のない能力」という言葉に出会いました。
介護や育児は、しばしば Unpaid work(無報酬の仕事)として扱われ、十分に評価されてきませんでした。環境要因が多く、単純比較ができず、評価軸に乗せにくい仕事だからです。
しかし、最も大きな理由は、評価する側がその仕事をやったことがないからだ、と筆者は言います。
やったことがないから、その高度さが見えない。訪問介護の現場は、まさにその典型でした。
例えば、45分の支援の中で、部屋を片付け、調理をし、少なくとも3品を作る。冷蔵庫の中身を見て、その場で献立を組み立てる。簡単な料理の日もあれば、煮魚のように火加減と時間配分が問われる日もあります。
利用者は気難しい。機嫌を損ねれば怒鳴られる。雰囲気が悪くならないよう、私は指圧をしてご機嫌を取る。いわば私の隠し技です。マッサージをしながら次の段取りを考え、時間内にどう終えるか、思考を巡らせます。
複雑な環境要因の中で、同時進行でタスクを処理し、時間内に一定の満足度を保つ。
それらは数値化されにくく、市場ではほとんど評価されません。社会保険制度の報酬の中に吸収され、「当然の業務」として処理されるだけです。


そんなとき、同じ現場を経験した上司や先輩から、
「よく頑張ったね」
「すごいことをしたね」
と声をかけてもらったことがあります。その一言に、どれだけ救われたことでしょう。
その言葉が重みを持つのは、彼らも同じ現場を経験し、その難しさを知っているからです。
ここに、外国人ケアワーカーという変数が加わったらどうなるでしょうか。
介護という高度な仕事に、「海外で働く」という難易度が上乗せされます。言語、文化、家族との距離、在留資格の維持、金銭的困窮。これらは目に見えない負荷です。
外国人ケアワーカーとの協調に必要なのは、介護現場への理解と、海外で働くことへの理解。その両方だと思います。
その理解を持つ人からの適切なフィードバックは、外国人ケアワーカーの活力の源になるはずです

日本で働く外国人ケアワーカーは、日々その「名前のない能力」を身につけようとしています。名前がないから大した仕事ではない、そう思われがちです。
しかし、その価値を言語化し、正当に伝えることができれば、彼らのやる気をさらに引き出すことにつながります。
名前のない能力を、名前のある価値へ。
最近、私はオンライン教育を通して、フィードバックの大切さを実感しています。名前がない能力だからこそ、彼らの介護観を深めるフィードバックが重要なのです。

そして同時に、私自身も、彼らとの対話を通して学びを深めています。
参考:安宅和人氏「名前のない能力について」
振り返れば、介護のことも、海外で働くということも、何も分からないまま、勢いだけで日本を飛び出し、アメリカへ渡りました。20年前のことです。
自分が経験したからこそ、外国人ケアワーカーが抱える不安や期待、そして介護現場を通してどのような成長の軌跡を歩んでいくのかを具体的にイメージすることができます。
もちろん、環境も時代も違います。すべてを自分の経験に当てはめるつもりはありません。それでも、「介護」と「海外就労」という点においては、確かな共通項があります。
外国人ケアワーカーを過度に美化せず、かといって否定もせず、ニュートラルな視点を持てることが私の強みです。
「啐啄同時(そったくどうじ)」という諺があります。
ひなが内側から殻をつつき、親鳥が外側からつつく。そのタイミングが同時であることを意味します。
教育に置き換えると、生徒が「学びたい」と思う瞬間に、教師が「教える」。そのタイミングがぴたりと合ったとき、成長が生まれるということです。
外国人ケアワーカーにとっての「啐啄同時」は、在留資格の申請から交付までの約3か月間だと考えています。この時期、彼らの学習意欲は最高潮に達します。

日本で働くという夢が、もう手の届くところまで来ているからです。しかし、ここで講師が見誤ってはならないことがあります。
彼らの夢の中心は「日本で働くこと」であって、必ずしも「介護職として働くこと」ではないということです。
その少なくないずれを丁寧に補正し、「日本で働く」という夢が「日本で介護職として働く」という夢へと展開できるように手助けをするのが、私の仕事だと考えています。
彼らの学ぶ意欲が高まっているこの時期にこそ、「日本の介護」を正面から伝える。このチャレンジに取り組んでいます。
来日までの3か月間、生徒と寝食を共にできれば理想的な教育ができるでしょう。しかし、教育にもコストという現実があります。
私の挑戦は、コストを抑えながら教育の質を最大限に高めることです。数多くの失敗を重ね、ようやくオンライン介護教育に手応えを感じられるようになりました。
オンラインには制約もありますが、同時に可能性もあります。
学習ログを蓄積し、データとして分析できること。距離を超えて、日本の受け入れ施設と連携できることなど、オンラインのメリットを最大限に活かすことで、活路を見出してきました。

オンラインであっても、内省は促せます。ただし、そのためには教育スキルとITスキルの両方が不可欠でした。
アナログ人間だった私も、今ではデジタル環境にも随分慣れました。AIの進化も後押しとなり、オンライン教育の環境は着実に向上しています。
いま問われているのは、私自身の教育力をどこまで高められるかです。
日本の介護を正面から伝えるために、介護の歴史を教えます。そして、その先にある未来として、介護福祉士の役割と専門性、さらに世界市場から見た介護福祉士の価値についても伝えています。
介護を短視眼的に捉えれば、ただの「お手伝い」になります。しかし長視眼的に捉えれば、介護は誰もが関わるライフイベントであり、世界が直面する高齢化という課題に向き合う専門職だと気づきます。その視点が得られたとき、日本で介護職として働く価値が見えてきます。
日本は、世界で最初に本格的な高齢社会に直面した国です。現場には数多くのプロフェッショナルがいます。
職業人としての自分の価値を高める環境として、これほど整っている国は他にないと私は思っています。

来日し、新しい日常という荒波に向き合う前に、私は彼らに夢を語ってもらいます。私の教育の質が高まれば、彼らの夢はより大きく、より具体的に育っていくことでしょう。
不安と期待が入り混じるなかで、彼らは懸命に内側から殻を破ろうとしています。いくつになっても、新しい世界へ飛び立つ前夜は胸が高鳴るものです。
彼らと接していながら、私も自分が20代の時の不安や期待が入り混じっていたあの頃を思い出します。
20年前と比べ、介護はますます世界から求められる分野になりました。いま、介護の価値が再定義される時代に入ったと私は見ています。
だからこそ、彼らの夢を大きく育て、日本へ送り出したい。それが私の仕事です。

外国人ケアワーカーの教育において、私が必ず取り入れるべきだと考えている科目の一つが、日本の介護の歴史です。
その理由は、「介護」という言葉の定義を合わせることにあります。
多くの人材送り出し国において、「介護」は家族介護の延長線上にあります。お年寄りを助けたい、役に立ちたいという感情が動機となり、介護が行われることも少なくありません。
思いやりや共感は介護において非常に大切な資質であり、その点において外国人ケアワーカーが高く評価されることもあります。
しかし、人の感情は常に一定ではありません。感情によってケアの質が左右されてしまうのであれば、それはプロの仕事とは言えません。
一方、日本の「介護」は、日常生活を支える専門職として社会の中で位置づけられてきました。知識や技術、そして理念に支えられた仕事として認識されています。
この違いを理解してもらうために、日本の介護の歴史を共有することが最も有効であるというのが、私の現時点での結論です。
専門職としての「日本の介護」を伝えるため、現場で活躍する介護職人の動画を見せたことがあります。しかし、うまく伝わりませんでした。
なぜなら、介護職人の知恵の多くは、経験の中で身についた「身体知」だからです。これを言葉による知識、つまり言語知に置き換えることは容易ではありません。
動画では目に見える技術に注目が集まり、その背景にある理念や思想までは伝わりにくいという課題がありました。
試行錯誤の末にたどり着いたのが、「歴史の共有」でした。
日本の介護の歴史は、1963年に制定された老人福祉法までさかのぼります。当時の日本には介護保険制度も国家資格もなく、家族が中心となって高齢者を支えていました。
その後、高齢化の進展とともに制度や資格が整備され、介護は家族だけが担うものから社会全体で支えるものへと変化していきます。さらに認知症ケアや介護予防の考え方が発展し、現在の日本の介護へとつながっています。
出発点を家族介護の時代までさかのぼることで、外国人ケアワーカーもすんなりと理解できます。重要なのは年号や知識を覚えることではなく、歴史の重みを通して「介護」という言葉の定義を共有することです。
歴史は言語知です。そして、それを物語として共有することで、理念や専門職としてのプロ意識が、自然と伝わるようになりました。
家族介護の延長線上で介護を捉えたまま来日した場合、最初は意欲的に働いていても、やがて日々の業務が単調に感じられることがあります。
日常生活支援を中心とする仕事では、外国人ケアワーカーの成長に合わせて業務内容を大きく変えていくことは困難です。在留資格の制約もあります。
だからこそ、入国前の段階で、介護という仕事をどのような視点で捉えるのか、その視座を高めておくことが重要だと考えています。
私自身、アメリカで在宅介護、寿司職人、マッサージ師の三つの仕事を掛け持ちしていた時期がありました。
当時、マッサージサロンの経営者から「そんなうんこ拾いのような仕事をして何が楽しいの」と言われたことがあります。
介護の専門性を知らない他業界の人から見れば、そのように見えるのも無理はありません。逆に、私にはない視点からの言葉として、「うんこ拾い」という表現に思わず笑ってしまったことを覚えています。
自分が介護を受ける立場になったとき、初めて気づくのです。
その「うんこ拾い」と呼ばれていた行為の中に、安全を守る技術、尊厳を支える配慮、そして生活を支える専門性が含まれているということに。
現在、私は外国人ケアワーカーを対象とした入国前介護研修を行っており、そのカリキュラムの一環として日本の介護の歴史を伝えています。
今週は二つの社会福祉法人において、それぞれ別のクラスで歴史教育を実践しました。その結果、受講生からは介護に対する捉え方が変わり、介護を専門職として理解するようになったというフィードバックが得られました。
外国人ケアワーカー教育において、「介護とは何か」という定義を共有することは不可欠です。その意味において、日本の介護の歴史教育は重要です。
自分の仕事を単なる「作業」として捉えるのか、それとも日常生活を支える「専門職の仕事」として捉えるのかによって、来日後のモチベーションも、パフォーマンスも大きく異なるでしょう。
日本には、他国にはない長い介護の歴史があります。その積み重ねの中で育まれてきた価値を、これからも一人でも多くの外国人ケアワーカーに伝えていきたいと思います。
