学生時代、老人ホームで介護のアルバイトをしていた時のことです。
食堂で、いつもはおとなしいおばあさんが、突然「おかあちゃーん」と大声で泣き始めました。茶碗を手に持ったまま、席に座って、わんわんと泣いたのです。
驚いた以上に衝撃だったのは、90代のそのおばあさんが、泣き叫びながら、強く母親を求めていたことです。
おばあさんが、母親を求める。
それがどういうことなのか、20代の私にはうまくのみ込めませんでした。子や孫から頼られる存在のはずのおばあさんが、自分の親を、しかも、もうこの世にいない母を求めていたのです。
彼女は認知症をもっていました。
なんらかのきっかけで、意識がふっと幼い頃へタイムスリップしたのでしょう。90代のおばあさんが、まるで母を探す小さな女の子のようでした。
あの頃の私には、おばあさんの内側で何が起きているのかを、全く想像できませんでした。
◆認知症の人の「内側」を描いた朗読劇
先日、介護クラスで認知症をテーマにした朗読劇を行いました。
使用した台本は、認知症のお母さんが娘へ贈るメッセージを描いた絵本『ありがとうをつたえたくて』です。それを英訳し、朗読劇用にアレンジしました。
私はずっと、認知症の人自身が世界をどう見ているのかを学べる教材を探していました。医療従事者や家族から見た姿ではなく、その人の内側がわかるものです。この作品には、まさにそれがありました。
配役は、ナレーター、認知症のお母さん、娘さん、そして、お母さんの「内側の声」。表には出てこない本当の気持ちを台詞にした役です。
劇の中に、こんな場面があります。
お母さんが引き出しを何度も開け閉めしながら、「ない……ない……どこ?」と探しはじめる。娘には、その行動がただ不思議に映ります。でも、内側の声はこう語るのです。
私が探していたのはね、自転車じゃないの。 お父さん。 お父さんが使っていた自転車置き場を通るとね、そこにいるような気がしてね。 もういないことはわかっていたの。でも、いるような気がしてね。
不可解な行動の奥に、亡き夫を探す妻の想いがある。表からは絶対に見えないその内側を、この劇は聞かせてくれます。

◆先生の涙が、若い生徒たちに伝えたもの
今回、娘役を50代のフィリピン人の先生にお願いしました。台詞はなく、ただ舞台にいてくれるだけの役です。
ところが、その先生が劇の途中から涙し、その涙につられて、若い生徒たちも泣き始めたのです。
劇の後、先生が感想を話してくれました。
親を介護し、看取り、子も孫もいる。娘、母、祖母――人生で三役を演じてきた彼女の物語が、劇と重なって涙があふれたのだと語ってくれました。
正直、介護も子育ても経験のない20代の若者に、この物語を本当の意味で理解するのは難しいと思います。かつての私がそうでした。しかし、身近にいる先生の涙に心を揺さぶられ、若い彼らも、この物語の核心に触れられたのだと思います。
◆目の前のおばあさんは、誰かの「お母さん」
介護職にとって、施設で暮らす認知症のおばあさんは、認知症のおばあさんでしかありません。
でも、その目の前のおばあさんは、誰かの大切な「お母さん」。
そして、そのお母さんも、天国の誰かの大切な「娘さん」。
劇の終盤、娘にそっと手をなでられたお母さんの内側の声が、こうつぶやきます。
あなたがやさしくふれてくれると、 なんだかお母さんになでてもらっているようで、 母との時間が戻ってきたようで、幸せを感じています。
娘に触れられて、自分の母を思い出す。
あの日、食堂で母を求めて泣いたおばあさんの内面が、今なら、ほんの少しだけ想像できる気がします。
想像力は、誰かの涙や、こうした物語を通して、少しずつ育てていくものかもしれません。
私は、そんな想像力こそ、介護職にとって大切な力なのではないかと思っています。

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